千葉ゆかりのあの人に聞く Chibaの魅力

Vol.2:藤家和依さん
(ミュージシャン・俳優)後編 

ジャニーズに受かったのはお父さんだった?

ミュージシャンや舞台俳優として、さまざまな方面で精力的な活動を展開する藤家和依さんへのインタビュー後編。千葉で過ごした幼少期の思い出などを語ってもらった前編に続いて、ジャニーズ事務所での思い出や現在の活動について話を聞きました。

 


藤家和依(ふじいえかずより)

12月3日生まれ。千葉県出身。2004年、ジャニーズ事務所に所属し、ベーシストとして活躍。独立後は自身のソロプロジェクト「ACT ONE AGE」での音楽活動に加え、舞台俳優としても活躍中。アパレル、アクセサリーブランド「VEDETTE ERROR (ヴェデットエラー:https://vedetteerror.shop/)」「MODSCITY(モッズシティ:https://www.modscity.jp/)」もプロデュースしている。



――ジャニーズ事務所に入ったのは高校生の頃ですよね。その頃から芸能活動に興味があったんですか?

高校の友達が先輩の勧めで応募することになって。
その先輩が藤家くんも一緒に出したいって言ってくれたんですよね。
なので特に芸能に興味があった訳じゃないです。

そうしたら半年後くらいに、親父が家で「俺、ジャニーズ受かった!」って騒いでいるんです(笑)。




――えっ、どういうことですか?

事務所に送る書類は、応募をすすめた先輩に作ってもらったんですけど、どうやら父と僕の名前を取り違えたようで、親父の名前で書類審査通過の通知が来たんですよ。


――それはお父さんもびっくりですね(笑)。

それで渋谷のNHKに行って、オーディションを受けたら社長(当時のジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川さん)に呼ばれて、そのままスタジオに行って雑誌の撮影をしました。

「あなたは合格です」とか特に言われていなかったので、ずいぶん長い間「あれ、俺受かってんの?」って思いながらレッスンとか受けていましたね(笑)。



――初めからバンド編成で活動はスタートしたんですか?

僕たちは、意外と早くグループをつくってもらったんですけど、最初は社長に「ローラースケート履いて」と言われたんです。でも、ピンと来なくて、渋っていたら「じゃあバンドだ」と言われて(笑)。

それはやってみたいということでバンドになったんです。

――Question?は、近藤真彦さんと結成したユニットMATCHY with QUESTION?でシングル「目覚めろ!野性」をリリースするなどして、広くお茶の間にも知られるようになりましたけど、そのときはどんな思いでしたか?

CDのリリースもそうですけど、横浜アリーナのステージに立たせてもらったり、ミュージックステーションをはじめとする音楽番組にも出させてもらって、やっと「思い描いてきた世界にこれたな」と思いましたね。

僕が音楽を好きになったきっかけも、今もまだ音楽を続けられていることも事務所に入ったことから全て始まっているので。育ててくれた事務所にはすごく感謝しています。


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