千葉ゆかりのあの人に聞く Chibaの魅力
元『egg』カバーモデルで現在はインフルエンサーとして活動している越川真美さん。中編ではモデルになったきっかけ、『egg』を経て『nuts』の表紙を飾るまでのお話を紐解いていきます!
越川真美(こしかわまみ)
――中編ではお仕事のお話を聞かせてください。元々『egg』のモデルをされていましたが、モデル活動を始めたきっかけから教えていただけますか?
始まりは「モデルになりたい!」というわけではなくて。
16歳の時に参加した「関東合同卒業パーティー」で私の友達と主催してる方が仲良くて。その時にその方から「モデルやらないか」ってお誘いをいただいたのがきっかけです。
この方は後に事務所の社長になるんですけど、「一から事務所をたちあげるから一緒にやらないか」と。
――立ち上げメンバーとして一緒にやろうといことですよね、凄い。
『egg』に関わるようになったのもその方を介して編集長を紹介してもらって、「今度オーディションあるけど受けない?」とお誘い頂いたんです。
その時将来の夢や目標みたいなものはなかったんですけど、そうやって言っていただいたから“自分もファッションモデルになれるのかな”なんて思って。オーディションを受けてみることにしました。
――もともと『egg』モデルに興味はあったんですか?
実は『egg』は読んでいなくて。 (笑)
ただギャル雑誌の『nats』は大好きで、毎月読んでました!
――『egg』ではなかったんですね。(笑)実際にモデルとしての一歩を踏み出した後、どのように活動していかれたんですか?楽しかった思い出もあると思うんですが、苦労話とかがあれば、、。
そうですね、、1番苦労したのはダイエットですかね。
太りやすい体質なので毎月、撮影期間になると「ちょっと太ったんじゃない?」みたいなことを編集長に言われるんですよ。
――やはり言われるんですね、、。(笑)
はい、 結構言われますね。毎月毎月。
でもその度にダイエット頑張らなきゃなって思ってました。
――読者モデルからどのような過程を経て専属モデルになることができたんですか?
読者モデルから専属モデルになるときのオーディションというか審査企画があったんですね。候補者が7~9人くらいいて、その中から『egg』の専属モデルになるための修行みたいな企画です。
でも今考えるとほんと笑ってしまうような企画なんですけど、どれも『egg』らしい企画ばかりでした。
――具体的にどのような企画内容だったんですか?
アイスクリーム早食いとか、滝行とかもあったり。(笑)
冬の時期に行くんですけどかなり寒くて中には泣いちゃう子とかもいて。
他にも電気を流しながらアイスクリームを誰が1番早く食べられるか、とか。
あとバンジージャンプを誰が1番速く飛べるかとかもありました。
それも泣きながら。(笑)今考えると『egg』らしい企画だったんですかね。
――その過酷なオーディションを経てモデルを勝ち取ったわけですね。
オーディションの企画の成績は結構上位だったんです。根気よく頑張ったんで。(笑)
そのオーディションを経て専属モデルになることができましたね。
――16歳から19歳まで『egg』でモデルを、その後『nats』に移られていますよね。
そうですね、19歳から23歳までは『nats』でモデルをやっていました。
『egg』でモデルをやっていた時に、“もう少しで20歳になるしちょっとお姉さん雑誌も考えたい”ということを自分から言って『nats』にステップアップしましたね。
――元々『nats』が好きだった、って伺ってましたが、、やはり嬉しかったですか?
本当に嬉しかったです。
『nats』で表紙が飾れた時は泣きましたね。嬉しくて。
撮影の香盤表が配られた中に書いてあったんですよ、“越川真美表紙撮影” って。
――事前に知らされずいきなり入っているものなんですね。
そうなんです。ただ、実はその初めての表紙撮影の時に全身ボツボツの蕁麻疹になっちゃって。1ヶ月延期になっちゃったんですよ。
もうその時は凄く落ち込んで。
でも1ヵ月でしっかり治して念願の表紙撮影を無事終えることができました。
――手元に届くと嬉しいですよね。やっぱりご家族も喜んでくれましたか?
もう家族もみんな喜んでくれて。
地元の友達もコンビニとかで2、3冊買って「見たよ!」って連絡をくれました。
やっぱりモデルの仕事を始めてから我孫子に住んでる地元の友達も応援してくれていて。
「真美は地元の星だ!」なんて言ってくれるんです。
そういう連絡をもらうと“期待に応えよう。”と思いますね。
モデル時代の励みになっていました。
――地元の方々の声はあたたかく大きな支えになりますね。
後編では越川さんの今後の活動についてお話いただきました。こちらもぜひチェックしてみてください!